日記
娘よ、感謝🥰
年に一度は二人で遠出をしよう。
コロナの前までは、よく行ったのが鎌倉の七里ヶ浜。海、山、神社仏閣を巡り、こころの垢を洗い流しておりました。
今年は2つ、計画を立てました。
『おいしいものをたべる。ワクワク楽しいところに行く』
8月未明、その一つ、決行いたしました❣️
久しぶりに、美味しいお蕎麦と天ぷらにしましょ🍤ほら、赤城さんの麓の。
うんうん、だよねー。
もう何年行ってないかしら?
コロナが第五類になって、規制が緩くなりました。その頃たてた計画。
2人ではまっているイニシャルDの公認カフェに行こう!お蕎麦屋さんのそばに、あるんだよー。
さすが情報通の娘ちゃん。近くの博物館に特設会場もあって、リアル体験も♡
ふむふむ🤨、心がワクワク☺️。いきましょう。いきましょう!
世間的に言う「オタク」に近い感覚を持ってると思われるわたしたち親子。満たされましたね。
めちゃくちゃ可愛い娘ちゃん、ありがとう😊
貴女がいたから、今のわたしがいるんです。
新潟の大切な友人に会ってきました。彼女は魔法学校の先輩。出逢いは6〜7年前。その日、学校のセミナーが終わって、氣が塞いでいるわたしに、お茶していこう♪と、声をかけてくれた。
当時、東京でのお仕事と学校のセミナーを上手に組み合わせて活動していた彼女。
新潟と、東京の生活。凄いなぁ。。。なにがそこまでTさんを動かすのだろうか?
「まきちゃん、大丈夫だよ。安心して。
心配することない。」
優しく、そして力強い声は、わたしの深いところに響きました。
あの日、貴女が一緒にいてくれなかったら、あまりの自己嫌悪と孤独感に、また、間違った選択をするところでした。
自分を閉じて、周りを見ない世界に入り込むこと。その方が楽、思考停止。もう走るのやめよう。逃亡者だ。そんな風に内面がぐちゃぐちゃでした。
彼女は、お茶して携帯をいじったりニコニコして何かしてる。
一緒いる。
それがとってもありがたかった。
ほんとうに。
新宿駅の小さなドトール。
カウンターの片隅で過ごしたほんの数十分。
わたしの今を左右する大きな時間でした。
Tさんは、今、ご自身と闘いながら日々を送られています。
その当時のご自身を振り返ると、
楽しくて楽しくて、疲れるとか、時間が無いとか、関係なかった!と言います。どうやって、やりたいことを達成するか?
そこに、全意識を集中し動いていたそうです。
数年に一度、彼女の笑顔に会いたくて、お邪魔しています。昨日も大変お世話になりました。往復500キロの道のりは、楽しい道のりでした。そろそろフル充電のTさん。
動きたくてウズウズしている、魂やスピリットの声が、心地よく聞こえてくるでしょう。
貴女が望む貴女の世界を楽しくワクワク創っていきましょう。
過去は過去。未来は未来。
いま、ここに居るわたしたちが、
誰もが輝ける世界を、創造しようね。
Yさん、ありがとう
あの日から六日目を迎えています。
この地球上のすべてのものは、4つの元素からできています。
Yさんと一緒に過ごした二日間の学び、
アデプトプログラムの中でお話ししたひとつです。
地球上に必要なものは全て揃っている。
宇宙や大自然の恩恵を受けています。
そうして、ひとは、日々進歩し、
支え合って共に生きています。
まことの摂理はあちらこちらに存在する。
掴んだ手の中に、それがあるか、そうでないか、見分ける純粋な目を持っていたいなぁ、
そのように心から願うのです。
Yさんが蒔いた種は、たくさんの良い実を結び、その種がまた次の種へと継承されるでしょう。
ありがとう、ありがとう☆
Yさんと大笑いして、
楽しかった思い出の写真を眺め、色んなことが閃いていく。
さぁ!
次の扉をあけてどのみちを道を進もうか。
そんなふうに自分と語り合いました。
いま、私にできること、
いま、必要なことは?
瞬く間に過ぎてゆく日々を、
与えてくださった存在に感謝と、畏敬の念をもって、とりあえず、前へ、進もう。
マイペースでいい、向かい合っていこう😆
わたしの大事なアデプトYさん
仏間の畳でバタンキュー😅、最近のわたし。
今朝、目覚めたのは3時40分ころ。なぜこんなにもスッキリ起きられたのか。今思えば、
彼女が来てくれたんだ。Yさん。
イベント会場で知り合ったYさん。
包丁マッサージや、レイキを氣にいってうけてくださいました。
Yさんは、
人生経験豊かな方で、ありとあらゆるジャンルを極めておられました。書道を軸にご活躍されその後は、「笑い」の探求を。
免疫を上げるのは笑うこと。笑顔で日々過ごすこと。笑いの伝道者として、お仲間の皆さんと活動されておりました。
出逢ってから、とある日のこと。
深刻な顔して何かを抱えている様子。包丁マッサージの施術のあと、わたしは何気なく「アデプトプログラム」のお話をしていました。
「なんで、その話をするの?」
「いや、わからない。わたしの口から出てしまうの」
Yさんは、つい先日宣告を受けた、「がん」について、話をしてくれました。
それから、Yさんとわたしの、生命の探求が始まりました。がんと、どう向き合うか、どのようにケアしていくのが良いのか。たくさん話しました。
手術の後、アデプトイニシエーションを受けられ、第二のお誕生日、「魂のお誕生日」を迎えられました。
Yさんは、たくさんある知識や情報の中から、ご自身のアイデアを巡らせ、これが良い! というものを取り入れ行動してきました。
Yさんは、MAX瞑想や、エンソフイックレイキを好んで受けてくださいました。
2人でMAX瞑想、よくやったね。
レイキ中はいびきをかいて、ぐっすり眠ってたね。
抗がん剤治療にも、笑顔で立ち向かっていたYさん。笑顔が輝いていました。
今朝の遠隔レイキは、右手の掌(たなごごろ)になんの痛みも感じなかった。何も。
Yさんの1番大切なNさん、ご連絡、ありがとうございました。
Yさん、今朝、会いにきてくれてありがとう。
肉体と、こころの苦痛から解放されて、
「安心立命」、
まことの安らぎを手にされました。
ご冥福をお祈り申し上げます。
光の学校で、また、会おうね。
ご家族の皆様、心よりお悔やみ申し上げます。
(白衣、大事に着てます。)Tさんへのお手紙
Tさん、諸々、お疲れ様でございます。ひと段落ですね。お父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。49日まで、氣が張っていますが、その後ガクッときます。わたしは、そうでした😆
暑いですからご家族皆様を支え、かつご自愛ください。
わたくしごとですが、
わたしも、父を、56歳。母を64歳で見送った時のことを、懐かしく思い出しました。
生前、母は、私にこう言ってました。
真紀、病院の白い壁の中で死にたくない。
母は、私がかつて勤めていた小川日赤内科病棟で、最愛の父を看取りました。
その経験から、自分は自宅で死を迎えたい、そう思ったそうです。愛する父に申し訳なかったと、唯一後悔することがそれだったと。
ですから、わたしは、地元のシャローム鋤柄先生のもと、訪問看護師さんや、ケアマネさんのお世話になりながら、母の願いを叶えました。
たった10日間の在宅ケア。
ウォーターベット、持続点滴。
酸素に吸引機、腹水抜きながらハルンチェック。
母の希望はずーっと眠っていたい。
血圧低下を気にしつつの、ペンタジン(ソセゴン)側管注射。バイタルチェックは、ドキドキものでした。母の心臓がどこまで麻薬に耐えられるか、漏れた点滴を交換したり、麻薬を投与するたびに、冷や汗かきました。
目が覚めるたびに、
まき、注射。
という声が。
たったの10日間でしたが、24時間ずっとそばにいられたこと、母の望みを叶えられた喜び、
複雑ですが、母との体験を通して、さらに人の細胞レベルの寿命を実感しました。
と、同時に、このような時間を与えてくださった嫁ぎ先の家族や、振替休日も取れない忙しい職場の方々、近所の皆さまのお計らいに、感謝の気持ちでいっぱいでした。(この想い、感謝は永遠ですね。)皆様が、良い意味で私を放置してくださったことに、静かな親子の時間を与えてくださった事、今でも心から感謝しています。
看護師の資格があって、ありがたかった。挫折して、休学しても、続けてきた看護の道(当時支えてくれた元夫にも感謝)。
いま、それに支えられ、ダブルワークの一つとして楽しんでおります。(本業は魔女🧙♀️ですから、この当時のわたしは一般人でした🤣)
つまんないお話、
おつきあいさせちゃいました。
なんか、懐かしくなってしまい
Tさん、休める時は、どうぞゆっくりなさってね
こっちに帰ってきても
Tさんのペース、守ってね。