日記
(白衣、大事に着てます。)Tさんへのお手紙
Tさん、諸々、お疲れ様でございます。ひと段落ですね。お父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。49日まで、氣が張っていますが、その後ガクッときます。わたしは、そうでした😆
暑いですからご家族皆様を支え、かつご自愛ください。
わたくしごとですが、
わたしも、父を、56歳。母を64歳で見送った時のことを、懐かしく思い出しました。
生前、母は、私にこう言ってました。
真紀、病院の白い壁の中で死にたくない。
母は、私がかつて勤めていた小川日赤内科病棟で、最愛の父を看取りました。
その経験から、自分は自宅で死を迎えたい、そう思ったそうです。愛する父に申し訳なかったと、唯一後悔することがそれだったと。
ですから、わたしは、地元のシャローム鋤柄先生のもと、訪問看護師さんや、ケアマネさんのお世話になりながら、母の願いを叶えました。
たった10日間の在宅ケア。
ウォーターベット、持続点滴。
酸素に吸引機、腹水抜きながらハルンチェック。
母の希望はずーっと眠っていたい。
血圧低下を気にしつつの、ペンタジン(ソセゴン)側管注射。バイタルチェックは、ドキドキものでした。母の心臓がどこまで麻薬に耐えられるか、漏れた点滴を交換したり、麻薬を投与するたびに、冷や汗かきました。
目が覚めるたびに、
まき、注射。
という声が。
たったの10日間でしたが、24時間ずっとそばにいられたこと、母の望みを叶えられた喜び、
複雑ですが、母との体験を通して、さらに人の細胞レベルの寿命を実感しました。
と、同時に、このような時間を与えてくださった嫁ぎ先の家族や、振替休日も取れない忙しい職場の方々、近所の皆さまのお計らいに、感謝の気持ちでいっぱいでした。(この想い、感謝は永遠ですね。)皆様が、良い意味で私を放置してくださったことに、静かな親子の時間を与えてくださった事、今でも心から感謝しています。
看護師の資格があって、ありがたかった。挫折して、休学しても、続けてきた看護の道(当時支えてくれた元夫にも感謝)。
いま、それに支えられ、ダブルワークの一つとして楽しんでおります。(本業は魔女🧙♀️ですから、この当時のわたしは一般人でした🤣)
つまんないお話、
おつきあいさせちゃいました。
なんか、懐かしくなってしまい
Tさん、休める時は、どうぞゆっくりなさってね
こっちに帰ってきても
Tさんのペース、守ってね。